4.『母親学の薦め』                                 

まるで日常的…のように家族や友人、仲間殺しがニュースされています。
以前は、生活不能的な経済の困窮や身内がらみの抑圧に耐えかねた犯罪で、うなずける面もありました。
でも、今日の家族殺しの犯罪には、生活に支障や緊急性…は見られません。
むしろ、医家や高学歴の親などと、恵まれた場合が多いようです。

何故、安らかにくつろげる筈の家庭で、このような悲しいことが起きるのでしょう? 
現在はもう、子どもや次世代は衣食住に恵まれ長時の通学のみでは育たない、との証明ではないでしょうか。

かっての日本も発展途上中で飢えに苦しんだ頃は、食べられて通学すれば育ちました。義務教育修了の知識で充分役立ち、何とか生き抜けました。
社会や家庭の貧しい環境は、身体や手作業の労苦を求め、それらは感性や機能、認識力や判断力、さらに忍耐力などと、人たる大切な資質をしっかりと育んでくれました。
人生の目的まで持つことさえもできました。
ハングリーによるプラス性のお与えです。


でも現日本社会は、あまりにも強烈に激変しました…
価値観も、生活システムも社会体制もスベテ…
今ではもう飢えず、ラクにすぐに食べられ、衣服は有り余り、困らずに生きられます。
満腹できる食生活は人類の長い夢でしたが、それもアッという間にクリアし、今やグルメ真っ盛り、逆に節食に苦しむホドです。

料理や掃除、洗濯や入浴など、家事や生活の殆どに、もう身体や手を動かさなくてもOK!
指1本で生きられそうな、有能ロボットの電化生活です。
そして、電話やTV、車や飛行機、IT…などと人本来の能力以上の生活で、無能の自覚も不可能的です。
        
しかしそれは同時に、基礎能力や資質育ての幼育に必要な、感性や脳力、多様な体験、機能や能力、認知力や忍耐力などが育ちにくい環境です。
育ってしまった大人にはラクでラッキーですが、次世代の幼な子にはむしろ、無能化の大きな障害になりかねません。

つまり不感症や無能力、無気力や身体機能の脆弱も当然なのです。
例えば家庭内で、家族と家事をいっしょして身につく能力でさえ、膨大なものです。
手の作業力や技術力アップのみならず、順序段取りから、予定計画性や判断力、待つこともできるようになり、脳力の活性化です。
                                       
母や年長者の巧みさに触れ、尊敬や導かれて有能化する喜びもあります。

人と人の間に存在するのが「人間」ですから、コミニュケーション能力の不足は人生において致命傷的でしょう。
信頼と多様で育つ能力ですから、その不足は、今後にもっとキツイ結果にもなりかねません。

かって殆ど存在しなかったニート族も当然な結果でしょう。
孤立に苦しむ若者が100万人近い程多いのは、彼らを育てた多くの家庭も不的確な育業をしてしまったのでしょう。すれすれのボーダーラインにいる予備軍も考えれば、黙視できることではありません。

こうした幼育における現代社会の落とし穴を、しっかり認識することが何よりも必要なのです。
愛し可愛がり、励まし、ためにした筈…なのに、トンでもない逆の恐ろしい結果になったりします。少しの油断や誤解で、誰にも可能性のあるかのような厳しい状況は、不運なら家族までも逃れられない悲劇の道を歩くことになりかねません。
                                  
大人は、さらに母なれば、それらへの対応に努めなければなりません。
きちんと問題点を見据えて、吾子を愛し守ることを的確にしなければなりません。
つまり、知らなさ過ぎ…たのでしょう。
無知は罪とブッダは言われたそうですが、うなづかざるをえません。
どのようにすべきか、親であるべきを知り学ばねばならないでしょう。

経済的なグローバル性に翻弄されたこの10余年ですが、幼育や母業にもそれに勝るとも劣らない状況です。
次世代には長い人生ですし、又、彼らの幸不幸は諸に親世代の私たちや家庭、社会に大きく影響します。

幼時期を、幼な子たちをもっとよく知り、どのように対応すべきか、一度はきちんと考え、学んでみませんか。

 
*当舎の「ママンシューレ」とは、いわゆる「母親学」のセミナーです。
   マタニティママや幼な子のママには必修です。
   幼育と母業の理念で応用力を、スキルやテクニックで的確に具体的な導きや
   励ましが可能です。
 *「咲楽」5月号P147に舎幹西川が載っています



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