1.『愛せ』                                 

   幼な子は無知無能です、絶対依存の生活です。
   ゆえに、ウルトラ知りたがり屋です。遊びで、知り、やって、学ぶことこそ
   彼らのエネルギー源です。
   当然、成長への憧れも強烈で、無事に成人化できそうかとつねに不安です。
   「安心して自由に、知りトライしてよく学び、食べ、眠れるダロウか?」

   遺伝子にあるかのような幼な子の不安は、すべて『愛』が解消してくれます。
   それどころか、守られ導かれ、励まされる「喜びと快」があり、孤独への怯
   えもなく、さらにエネルギーは増幅します。
   人への信頼と共感は安らぎであり、生きぬく能力がしっかり育ちます。

   
『愛』と「好き」とは違います。

    戦後60余年、尚も続く大変動は、こうした価値観を歪ませました。
    あえて過激な言葉を選ぶなら、「好き」は自分の要求です。自分大事の欲望
    ですから、つまるところは「ストーカー」です。
    相手のことを自分が好いているだけで、勝手な思い込みの押しつけも可能な
    のは当然です。犯罪の要因にもなり得ます。

    『愛』は自分の好きよりも、「相手の幸せのため」を第一とします。
    『愛』していれば、その幸せを願わざるを得ません。今も未来も良かれ、と
    祈らざるをえません。
    そのための努力を惜しまず、協力せずにはいられませ
    幼な子にハイハイと過保護でよいわけはない、とわかります。
    無知無能な時期に、「ラク」な生き方に染める恐ろしさもわかります。  
    与えるばかりでは哀れな無能育て、それどころか幼児万能感をさえ育ててし
    まう、とわかります。物欲第一の生き方に安らぎはありえないと、心できるで
    しょう。
    さらに、多様な人との触れ合いはもちろんのこと、生きぬくプラス能力に加え、
    忍耐や持続力、努力も教えずにはいられません。
    もしかして、ニートも幼育に主因があるのかも?

    お医者さんになる道も当人の決めることです。
    よく考えて、(資料も充分与えて、話もして)、なりたければ、できる限り
    応援するヨ、は『愛』です。
    (「好き すき スキ!」はたっぷりどうぞ。要求や押し付けのナイ、想いだけの
     好きは、どんなに多くても実害はありません。それどころか、幼時は素直に
     喜んでくれます。自己肯定力を強めます。)
    当人ではないのに勝手に彼の人生を決めるかのようで、自分が絶対に正しい
    から従え、と日常に暴力まで振るう…のは、ウルトラ貧乏で発展途上中の昔の
    日本人の生き方、のように思われてなりません。
    民主主義の今日では許されない「親ストーカー」かも?
    知識量のみ第一や、評価の恐ろしさ! 
    認識も判断も、一瞬先さえイメージもできない無能さは、安らぎや体験不足
    から…でしょう?






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